【映画批評】『リバー・ランズ・スルー・イット』若きの日のブラッド・ピッドが大自然に挑む出世作

 評価:☆☆☆

 「午前十時の映画祭」という名作映画をデジタルリマスタリングして、映画館で再上映する企画があるのですが、 映画『リバー・ランズ・スルー・イット(1992)』を30年ぶりに映画館で観てきました。文字通りの30年ぶりで、30年前の94年か95年に高校の課外授業で、映画館で観たのだった(観せられた)。当時、戦後50年の節目の年で、課外授業の映画鑑賞というと、『ひめゆりの塔』などの戦争映画が選ばれることが多かったのですが、その教育現場の圧迫を押しのけて、この映画を選んだ教員は余程の映画好きだったと思える。

 話が逸れましたが、本作はブラット・ピットが出演していて、評価の高い作品なのですが、それ以降、不思議と観る機会がなく、先日、30年ぶりに映画館で観たのでした。これはなかなか珍しい現象で、30年後に映画館でまた観たいと思えるような映画だったら、テレビ、レンタル、動画配信サービスなどで1回くらいは観ていそうなものなのですが、学生時代にTSUTAYAの旧作コーナーを詮索したり、今のアマプラなどの検索に引っかかることなく、30年後に映画館で観ることになったのは不思議なものです。この映画で、僕がかろうじて思い出せるのは、成長した弟のポール(ブラット・ピット)がフライフィッシングで生まれ故郷の大河に挑むシーンでした。

 そのブラット・ピットのフライフィッシングのシーンを楽しみに観てきたのですが、思い出す、思い出す。ほぼすべてのシーンで観ては思い出すという繰り返しで、なんとも不思議な体験になりました。10代の頃に観た映画は、心のどこかに残っているようです。

 本作のあらすじを説明しますと、舞台は1910~20年代のモンタナ州の田舎町でして、日本ですと長野県や岐阜県のようなところでした。雄大な自然と大河があり、兄のノーマンと弟のポール(ブラット・ピット)は牧師で厳格な父親に育てられる。映画は年老いた現在のノーマン(小説家?)が弟のポールを中心に回想する筋書きとなっています。

 高校生の時に観た時は、フライフィッシングのシーンが印象的でしたが、現在、観てみると、モンタナの自然の描写が圧倒的に美しく、フライフィッシングは高校生当時に感じた輝きは無くなっていました。どちらかというと、もう少しポールの腕前が分かるように描写に工夫をした方が良かったのではないかと思ったほどでした。それでも、厳格な父親とその対局的な奔放な弟のポール、その中間に主人公のノーマンを配置して、この三者が家族の際どくも力強い絆を感じることができ、なんといっても雄大な自然の描写が美しい映画です。ブラット・ピットはこの映画の数年後に、世界的なスターになりますが、まだまだ雲の上のスターのオーラはなく、身近に感じられると思います。

午前十時の映画祭14 デジタルで甦...
午前十時の映画祭14 デジタルで甦る永遠の名作 午前十時の映画祭14 デジタルで甦る永遠の名作
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

【ブログは週末更新、水曜日不定期更新を予定しています。】都心の1Kの賃貸マンションに一人暮らしの会社員の40代男性。仕事の傍らに、都会のコンパクトな生活空間を最大限に活用する方法を日々模索中。ガジェットや家電、スマホから生活のちょっとした工夫や趣味の映画鑑賞と読書について発信しています。

目次